便乗して、考える

過去というのは常に可能性に見えているものだからだ。そう過去がだ。可能性に満ちているのは、未来ではなく過去だ。あの時、あの選択をしたら、どう生きていただろうか。仮想のパラレルな過去を積み上げて今という時をごまかして生きている。

[映画]時をかける少女(細田守監督): 極東ブログ

 僕も、こんなにも明確に文章化できるほどではないけれど、同じような事を考えた事がある。というか、万人が考えている事なのだろうとも思う。だから便乗して、少し。
 「未来は可能性に満ちている」と言うのは皆よく口にするけれど、実は過去も可能性に満ちている。過去の可能性。それは過ちを正したいとか、もっといい選択が出来たのでは?とか、比較的後ろ向きな事の方が多い。過去の可能性には、どこか後悔じみたところがある。それは僕がネガティブだからだろうか。僕は、未来の可能性よりも過去の可能性を考えてしまう事の方が多い。今を僕はごまかして生きているのだろうか。確かにごまかして生きているのかもしれない。過去に後悔じみた可能性を感じている時点でごまかしていて生きているのだ。でも、そうやってごまかし、なるべく可能性から目をそらし、今を受け入れて生きている。それは、仕方がないことでもあるように感じる。というか、そういうものなのだろう。
 未来は可能性に満ちていて、過去も可能性に満ちている。僕らはあらゆる時において多くの可能性を持っているのかもしれない。良くも、悪くも。
 今度、DVDをレンタルしてきて観ようと思った。