決意とその先にあるものと

 東京に住むいとこの子供に会ってきた。ただいま生後10ヶ月ぐらいだろうか。かわいかった。僕は、元々子供が苦手だった。どうもどうやって接していいのかわからなくなってしまう。泣かれたらどうしようとかそういった不安が先走ったりしてしまう。でも、今回は自然に接する事ができた。笑わせてあげる事もできた。そして何より、かわいく思えた。僕は、結婚したとして、子供がいなくてもいいかな?とずっと思っていた。だけれど。価値観は変わるものなのです。
 でも、たとえ、子供がいなくても、僕は頑張って家族を支えていく事が出来ると思う。最近固まったとかほざいていた価値観。それがこの事。僕は、能力も無いし、性格も良くないし、ダメな男だ。だから相手を幸せにする事、は約束できない。でも、幸せにするために命をかけて家族を守るために頑張る事は約束できる。本気で命をかけられる。それが、結論だった。色々あって、色々考えて、そして、でた結論だった。
 さだまさしさんの「関白失脚」という歌がある。その一節が、僕の今回書きたかった内容を見事に表現してくれている。

そして今日も君たちの笑顔守る為に
仕事という名の戦場へ行く
右に定期券 左に生ゴミ
人は私を哀れだと言うけれど俺には俺の幸せがある
君たちの幸せの為なら死んでもいいと誓ったんだ
それだけは疑ってくれるな 心は本当なんだよ

http://www.cai-insect.jp/sada/lyrics.html#kanpakusikkyaku

本当にそう思った。自分には自分の幸せがある。僕は、「大事なものを守るためなら命をかけられる」と思えた。そして、そうやってに生きるのは幸せだろうなと感じた。ダメな僕ができる事。それは、そんな事ぐらいしかないのだから。そのためなら、家事を分担したやったり、どこか旅行に行くときに車を運転したり、小遣いがちょっと位少なかったりしても大丈夫だと思う。そうできる、確信があるから。

 そして、死ぬ間際に「ありがとう」とでも一言言われたら、どんなに幸せだろうか。そんな人生にしたいと本当に強く思った。
 という事を、改めて強く感じた、いとこの子供に会った三連休。

 まずは、「命がけで守りたい」という理想を抱いた。あとは、その「対象」だ。また、探そう。何せ、それが理想なのだから。

追記:
 でも、こんな事って、僕みたいに考えなくてもみんな自然と決意できているのだろう。自然に出来ていない僕はダメなのかもしれない。が、今はそうあまり思わないようにしている。
 僕は、こうやって実際に書いたりしないとダメなのだ。そうしない完結できない。文章にすると完結できたり、表現できるのです。考えとか気持ちとかが。
 それを、なぜプライベートな日記では無くブログに書くのか。実際の僕を知らない人などになら、晒せるから。そして、さらに強まるから。それだけ。
書いている内容が痛いのは重々承知してますよ!(泣)

さらに:
 自己満足にならないように。これは、決心する前から思っていること。こんな事を考えた自分に酔ったら最高の馬鹿でしかない。優しくしている自分、優しくしてあげている自分に酔ったら終わりだ。
 こんなダメな僕だけどやっぱり自己愛は存在していて。そんな自己愛を超えた他者愛ならばいいのだろうと思った。改めて追記。